21日

(((((((((((((′・∀・))))))))))))))ブレッブレ

勉強の意味

大学の同窓会誌に退職される先生のコメントが記載されておりこんなことが書かれていた。

 

「『調子の悪い時はね、君、勉強することだよ。昔、習ったことを振り返ってごらん。そうすると安心するだろう。それで心の安らぎが出てくるんだよ』」

 

要は、仕事で切羽詰まって不安になったときに、勉強すると、不安を少しでも少なくすることができるということである。勉強はストレス解消になり、不安に対する対処法として良い方法と言うことである。

 

これと同じような言葉に、武井壮さんも、「自分へのご褒美のために1日1時間以上は勉強する」とおっしゃっていた。

 

どうも私は、勉強という行動に罪悪感が湧いてしまう。

これは、小さい頃、私が宿題を提出しなかった子だったからである。

小学生中学生の頃はどうしても、自分の興味あることなどを勉強する(いわゆる自主学習)前に宿題をしなければならない。そして私は宿題が大嫌いだった。なので宿題は、怒られながらやるもので、自分がふと気になったことを勉強しても、宿題をやっていないからそんなことをする前にやるべきことをやってから(宿題)自分の勉強しろと言われた。

ただ宿題がとても苦痛だったので勉強も苦痛となってしまい、勉強することに対して罪悪感を持つようになってしまった。

宿題がなくなった今でも、勉強することに何か重いものを感じる。罪悪感のような、義務を果たしてないのに、といった感情が生まれる。仕事で時間があるときは、勉強をちょっとするようにはしているが、他の人が仕事をしているのに私は勉強してていいんだろうかと思ってしまう。(これは、自意識過剰であり、昨年の上司も勉強することも仕事に含まれると言っていた) ただ私は、あまり頭の具合が良くないので、勉強しないと周りについていけないと言う事情もある。

 

そういうことを考えていたが、昨年、実家に届いた同窓会誌を見て、勉強に対する考え方に対してはっとさせられた。

大学院生の頃、研究が進まない時に同じような経験をしたことがある(なお研究は進まなかった)。

勉強とは自分のためのものであって、他人に対する罪悪感など抱く必要も義務もないと気がついた。そして勉強とは、武井壮さんも言っていたが本質的に自分に対するご褒美であり権利であり、そこに負の感情はない。それを学校教育を通して義務として処理してしまったために、勉強に対して余分な感情を持ってしまっていた(しかし、宿題とは嫌な制度である、仕事終わりに宿題しろと言われたら仕事を辞める自信はある)。

 

これから、ご褒美として、自分の不安から逃れるためにも、勉強する楽しさをどんどん経験として重ねていきたいと思う。

 

余談

冒頭の大学の同窓会誌に書かれていた勉強についての言葉だが、実はもうその同窓会誌を捨ててしまっている。この言葉が印象に残っているが、どの先生がこの言葉をおっしゃったか、そこまではメモしていなかったので覚えていない。もし、この言葉に見覚えがある方は、先生の名前と所属学部を教えていただきたい(笑)